年末、懐メロが流れるテレビを聞きながら
時間は秒読みだが準備はナカナカで2009と
お別れ。

数日前「村田英雄の浪曲が」というアナウンサーの声が
ロウ=蝋 と聞こえてしまう。
かなり頭が蝋化している。

「森とツナガル休日。」で櫨蝋に接する機会がまもなく
というのもあるが、どうもこれを機に記憶が呼び起されている。

え~、江戸時代、ナントカいう学者が櫨を植えて蝋をとった、
というような話を何かで読んだよね。
なんか暑苦しいくらい一生懸命な人という印象が残る。
しかしいったい誰だろう?
櫨といえばココ、という松山櫨蝋復活委員会さんの
ホームページを拝見していたらあった!
「大蔵永常」

この言葉で以前読んだ本にたどりつく。
装丁が懐かしい、お久しぶりです。
img20091231.jpg

筑波常治 国土社 1999

江戸後期、日田で生まれた大蔵永常は蝋製造に従事する。
祖父は綿花をつくるなど、工芸作物に親しい環境だった。
学問をしたいが親に阻まれ、国元を飛び出す。
誌国遍歴する中で、様々な工芸作物に接しその栽培や
加工に精通する。
また、コメ作だけに頼り、蓄財ができない農業経営が
不作の年は食べるにことかく有様を見る。

それで工芸作物の本を書くようになった。
遍歴の中で出会ったフツーの人たちを
思い浮かべ、図を多用し、会話仕立てにしたり
とわかりやすく正確に伝えることに意を砕く。

人生後半、藩に仕官もするが、藩主が逼塞したり
木が育つのに時間がかかるので結果がすぐ出ないと
評価が得られなかったり、、このへんは現代にも通じる。
最後は江戸にもどる。

後書きの一節。
『農家の暮らしをらくにするためには「儲かる農業」を
 さかんにしなければならないと永常は考えた・・』
時代が生んだ人だけれどいつの世にも通じる
強い志に思わず手が止まる。

しかし、こういうすごい人を生んだ日田の風土に
今更ながら心ひかれる。
単に昔天領だったとか、美人が多いとかいうイメージしか
なかったので。
日田市ホームページには大蔵永常についての記述があります。
http://www.hita.ne.jp/~city/his/nagasue.htm

前掲書は福岡市総合図書館所に蔵です。
出版元では絶版となっています。
http://www.kokudosha.co.jp/search/info.php?isbn=9784337210110
しかしオンライン書店でも入手できるようです。
http://www.bk1.jp/product/1671354


そろそろサヨナラ2009。

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【しばりん】