山村塾さんの災害ボランティア募集の
内容に避難所「えがおの森」のお手伝いも
追加されたので23日に参加してきました。
9時過ぎに黒木町総合支所から、送迎担当会員さんの
車に乗り、出発。
ここから「えがおの森」までは今まで、舗装された
道を20分強で着いていました。
しかし水害で道が通れなくなったため、大きくう回。
離合が難しい細い道をいったん山の上に出て
下ります。笠原は山の上の方まで人家、茶畑、
ため池があるのを初めて知りました。
下り始めると、砂防ダムから土砂と木が流れた後
の残る道、崩落した山肌、土砂の流れ込んだお宅、
川沿いに流されたお宅があり、お気の毒さに
心の中で手を合わせながら通り過ぎました。
到着したえがおの森は避難所としても使われています。
まずボランティアへのオリエンテーション。
メイン作業、家の土のかきだし作業上、留意することを
事務局長小森さんから話していただきました。
今日の参加者は山村塾の会員さんなど農林業の
現場や作業に慣れた方ばかり
ですが、語る方も聞く方もしんけんです。
前日から土のかき出しをしているお家にむかったメンバーの他
えがおの森の作業にボランティア2名が残ります。
大雨の13、14日に集落の方がみえたとき
使われた布団やシーツを干しました。
事務局のもりまりこさん、ボランティアの
うめちゃんからお話を聞きながら作業を
すすめます。
「えがおの森」は笠原東小学校が休校になったあと
笠原東交流センターとして使われています。
山村塾さんは数年前、ここに事務局を移され
国際ワークなどの宿泊を伴う行事にも活用
してきたこともあり、畳のひいた元教室、
寝具、調理室、風呂、お手洗いが現役で
す。それが今回避難した方たちの生活の
一助となったようです。
昼前にはもりちさんが講師となり、ご自宅片付けから
戻ってきた地元のおかあさんたちと冷や汁
づくりをしました。
昼は小学校隣のお宮でボランティアはお弁当を
広げながら、小森さんから、水害時の様子を
うかがったりしました。
午後は、再び布団やシーツの取り込み。
あっという間に振返りの午後3時となりました。
えがおの森の皆さんに見送られ車から手を振って、
笠原を後にしました。
感じたことはとても多かったです。
○被害
農地・ご自宅に大きな被害がなく、まもなく出荷の
菊の手入れ、施肥時期であるお茶の世話と
大忙しのおうち。
農地とご自宅に打撃を受けたおうち。
それぞれを見るにつけ、それぞれの
皆様の胸中察するに余りあります。
これからの地域について、朝廣先生が
心を寄せて書いています。
○ 暮らしに道は大切
雨が上がった直後から、道を回復するのに集落の
男性、総出だったそうです。
行政も出てくださって、山の上からのう回路は開通しました。
けれど、今までの道が通れなくなったため、
中高に通学の子供たち、兼業の方の何割かは少なくとも当面
町中の親戚宅に、寄留したりアパートを借りることになります。
ふく森事務局長でもある小森さんは今まで、ミーティングの時
笠原から日帰りで福岡市内に来てくれ、10時ころから
帰りつくと翌日でした。でも、とても夜道を返すことができなくなりました。
○ ライフライン、特に情報の大切さ
停電し、電気がなくテレビが見られず、 インターネット回線、
電話も通じなくても、半日は携帯が使え、みんな余裕が
まだあった。けれど携帯の中継局のバッテリーが
切れてからは、さすがにあせったとのこと。
山間部の笠原では状況はわかりませんが
ラジオと電池は必須かもしれません。
ヘリが来た時、電気が通った時は本当にうれしかった
とのこと。
○ 微力でも通いのボランティアでできること
一日の中、小森さんは折に触れ
土をかき出すのに高齢のご夫妻では大変。
皆さんが手伝ったうと、とても喜んでくださる。
また、何度か繰り返してボランティアで来ることで
作業の中心となってもらうことができる、とも。
次回のボランティア活動を申込んだ方も
おられました。
今後、他の地域にボランティアに行く時等
4,5人でチームを作っていくと受け入れる方も
行く方も何かと心強い、と話してくれました。
○リーダーは説明し続ける。
事務局長小森さん、事務局もりまりこさん、滞在ボランティア
梅ちゃんが当日のボランティアに作業説明等の対応を
してくださいました。
3人とも作業の意義、相互の紹介、海外から来ていた
ボランティアへの通訳など、説明し、感謝することを
続けていました。
すごい、、、この方達の負荷を少なくすることの必要も感じました。
○ 休憩をしっかりとることの大切さ
あまり行けないと、この機会に、と一生懸命
時間を超えてしたくなるものですが、休憩をしっかり取ることは
ボランティアの為にもリーダーの為にも必要と感じました。
○ まちのわたしたちの暮らし
「えがおの森」は笠原の他の家同様、
トイレはくみ取りですが、人数が一時急増したため
便槽があふれないか、みな心配したそうです。
いつもより、細い道を通れる小さいバキュームカーが来た時は
本当にほっとしたとのこと。
まちのわたしたちは水や下水についてふだん気にすることが
ないのです。それは遠いところからきて、遠いところに去って
行きます。
見えないというのはぜい弱な暮らしと改めて感じました。
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【しばりん】
内容に避難所「えがおの森」のお手伝いも
追加されたので23日に参加してきました。
9時過ぎに黒木町総合支所から、送迎担当会員さんの
車に乗り、出発。
ここから「えがおの森」までは今まで、舗装された
道を20分強で着いていました。
しかし水害で道が通れなくなったため、大きくう回。
離合が難しい細い道をいったん山の上に出て
下ります。笠原は山の上の方まで人家、茶畑、
ため池があるのを初めて知りました。
下り始めると、砂防ダムから土砂と木が流れた後
の残る道、崩落した山肌、土砂の流れ込んだお宅、
川沿いに流されたお宅があり、お気の毒さに
心の中で手を合わせながら通り過ぎました。
到着したえがおの森は避難所としても使われています。
まずボランティアへのオリエンテーション。
メイン作業、家の土のかきだし作業上、留意することを
事務局長小森さんから話していただきました。
今日の参加者は山村塾の会員さんなど農林業の
現場や作業に慣れた方ばかり
ですが、語る方も聞く方もしんけんです。
前日から土のかき出しをしているお家にむかったメンバーの他
えがおの森の作業にボランティア2名が残ります。
大雨の13、14日に集落の方がみえたとき
使われた布団やシーツを干しました。
事務局のもりまりこさん、ボランティアの
うめちゃんからお話を聞きながら作業を
すすめます。
「えがおの森」は笠原東小学校が休校になったあと
笠原東交流センターとして使われています。
山村塾さんは数年前、ここに事務局を移され
国際ワークなどの宿泊を伴う行事にも活用
してきたこともあり、畳のひいた元教室、
寝具、調理室、風呂、お手洗いが現役で
す。それが今回避難した方たちの生活の
一助となったようです。
昼前にはもりちさんが講師となり、ご自宅片付けから
戻ってきた地元のおかあさんたちと冷や汁
づくりをしました。
昼は小学校隣のお宮でボランティアはお弁当を
広げながら、小森さんから、水害時の様子を
うかがったりしました。
午後は、再び布団やシーツの取り込み。
あっという間に振返りの午後3時となりました。
えがおの森の皆さんに見送られ車から手を振って、
笠原を後にしました。
感じたことはとても多かったです。
○被害
農地・ご自宅に大きな被害がなく、まもなく出荷の
菊の手入れ、施肥時期であるお茶の世話と
大忙しのおうち。
農地とご自宅に打撃を受けたおうち。
それぞれを見るにつけ、それぞれの
皆様の胸中察するに余りあります。
これからの地域について、朝廣先生が
心を寄せて書いています。
○ 暮らしに道は大切
雨が上がった直後から、道を回復するのに集落の
男性、総出だったそうです。
行政も出てくださって、山の上からのう回路は開通しました。
けれど、今までの道が通れなくなったため、
中高に通学の子供たち、兼業の方の何割かは少なくとも当面
町中の親戚宅に、寄留したりアパートを借りることになります。
ふく森事務局長でもある小森さんは今まで、ミーティングの時
笠原から日帰りで福岡市内に来てくれ、10時ころから
帰りつくと翌日でした。でも、とても夜道を返すことができなくなりました。
○ ライフライン、特に情報の大切さ
停電し、電気がなくテレビが見られず、 インターネット回線、
電話も通じなくても、半日は携帯が使え、みんな余裕が
まだあった。けれど携帯の中継局のバッテリーが
切れてからは、さすがにあせったとのこと。
山間部の笠原では状況はわかりませんが
ラジオと電池は必須かもしれません。
ヘリが来た時、電気が通った時は本当にうれしかった
とのこと。
○ 微力でも通いのボランティアでできること
一日の中、小森さんは折に触れ
土をかき出すのに高齢のご夫妻では大変。
皆さんが手伝ったうと、とても喜んでくださる。
また、何度か繰り返してボランティアで来ることで
作業の中心となってもらうことができる、とも。
次回のボランティア活動を申込んだ方も
おられました。
今後、他の地域にボランティアに行く時等
4,5人でチームを作っていくと受け入れる方も
行く方も何かと心強い、と話してくれました。
○リーダーは説明し続ける。
事務局長小森さん、事務局もりまりこさん、滞在ボランティア
梅ちゃんが当日のボランティアに作業説明等の対応を
してくださいました。
3人とも作業の意義、相互の紹介、海外から来ていた
ボランティアへの通訳など、説明し、感謝することを
続けていました。
すごい、、、この方達の負荷を少なくすることの必要も感じました。
○ 休憩をしっかりとることの大切さ
あまり行けないと、この機会に、と一生懸命
時間を超えてしたくなるものですが、休憩をしっかり取ることは
ボランティアの為にもリーダーの為にも必要と感じました。
○ まちのわたしたちの暮らし
「えがおの森」は笠原の他の家同様、
トイレはくみ取りですが、人数が一時急増したため
便槽があふれないか、みな心配したそうです。
いつもより、細い道を通れる小さいバキュームカーが来た時は
本当にほっとしたとのこと。
まちのわたしたちは水や下水についてふだん気にすることが
ないのです。それは遠いところからきて、遠いところに去って
行きます。
見えないというのはぜい弱な暮らしと改めて感じました。
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【しばりん】