最近、ボランティア活動での伐採する木は
細くならなければと、折に触れ想う。

自分のフィールドで伐る木が
広葉樹で直径40㎝を超え、おのずと樹高も高いこと。
ロープで倒れる方向ほか、さまざまコントロールし
無事倒れるまで、血圧があがるような気がする。
リーダーは熟練のシニア連。
いつまで、元気に指導してくれるのか。

また、ナラ枯れをめぐる講座で、講師の方々が
見せてくださる、過去の里山の木が、ことごとく細い。
かつ疎。

いちばん、あーーと思ったのは、A廣先生が
久々に見せてくださった、BTCVの活動の写真。
英国のボランティアがつくる垣根は
細い木を伐採し、組まれている。
休日のボランティアって、こうだよね。

最近、ある若い方から、ゆるゆるとやりたい。
ボランティアなんだから、と言っていただいた。
わかる。
組織を維持していくには、手間がかかる。

自分も、科学的に、社会的に、適切な
森林活動を参加者としてやりたい。
冬の森で、ゆっくりと、体力に見合った
作業をするのは楽しい。

それには、木が細くないと、まずどうにも
ならない。

今、自分のフィールドの木が大きいのは
伐るべき時に伐る、作業含めて持続可能な
ビジョンが、少し足りなかったからではないかと
おもう。グッと、グリップして、将来的にできる
作業も含めて考えておけばよかったかも。

2005年ごろ、間伐世話役を、おあねえさまから
引き継いだ学生さんが、森の中、クヌギの胸高直径を書いた
リストのファイルをもって、やや青ざめたように
「どんどん伐っていかないと間に合わない」と
言っていたのを思い出す。
(そう、クヌギ林なのに、小面積皆伐世話役ではなかった)

そのころ、竹林の伐採とかに手を広げていた。
今は、その作業から、団体として、撤退して久しい。
あのころ、萌芽更新のことを真剣に考え
どんどん伐っておけばよかったのではと
古い会報を見ながら、思う。

しかし、こんなことを思うのは、そもそも
ボランティアとしてちょっとやりすぎのそしりを
免れないとも思う。


【しばりん】