大野川水系のひとつ乙津川河口近くを訪れる。

上流方向を見るとやや蛇行した川辺にヨシ。
美しさに誘われてふらふら散歩。
左手の瓦屋根のあたりで土手をおりる
小さい階段がありお寺の裏手に出る。
小さい階段がありお寺の裏手に出る。
だけど、、ここ大分市鶴崎だよね?
看板を見ると加藤清正がこのあたりの土地を
もらったらしい?
という看板。無料らしいのではいってみる。
はいるとすぐに箱庭らしい模型があり見入る。
館の方が説明してくださる。
箱庭はお茶屋といって参勤交代の時
熊本の殿様が休憩した藩の屋敷の模型。
なんで熊本の殿様が江戸に行くのに大分を
通ったのか。いくつかあるルートのひとつで
肥後街道、旧野津原町等を通り鶴崎から
船に乗り大阪へ。そして陸路江戸へという
ルートがあったとのこと。
模型のふちにさがっていた板をぱっとあげると
模型のふちにさがっていた板をぱっとあげると
そこには江戸時代の鶴崎の絵図。
茶屋を中心して描かれ、茶屋が鶴崎の
中心だったことが一目でわかる。
近くには船の運航をする人等参勤交代の御用をする
職能の住む町が描かれる。
河口には加藤清正、その後の細川氏に
なってから作られたふたつの港も描かれている。
昔の絵図は暮らしや植生がいきいきと感じられる。
港のそばに松が描かれている。
地図をお目にかけられないのが残念だが
大分市史中巻の付録に掲載されているとのこと。
大分市史中巻の付録に掲載されているとのこと。

ところで毛利空桑は江戸時代の教育者で
帆足万里の弟子のひとり。
館の方によるとお茶屋はこの毛利空桑記念館のすぐ前、
現在鶴崎高校が立っているところにあったとのこと。
旧野津原町のお茶屋あとも同様に小学校の敷地に
なっているそうだ。
こうしているうちに明日は12月。