油山の山頂への道すがらに示された
周囲の集落への峠道。

2011年8月14日まで福岡市博物館では
「江戸時代の山林」と題する展示が開催されていた。
江戸時代の福岡の山林を語る複数の絵図が展示。
17世紀中ごろ行われた山林調査図では今は
緑濃い住宅地である中央区平尾の丘陵の一角が
「竹山之図」ではげ山だったことが示されおおっ、
というかんじ。
江戸時代の福岡藩の山林は誰が所有し誰がどのように
利用していたかというのが最も興味のあるところ
だったが、基本的に御山と呼ばれ藩のものだったとのこと。
実際には野山という農民が下草、薪を利用した山
森林育成のため個人が占有した証拠山など管理は
当然さまざまな立場がしていた。
しかしとにもかくにも木は燃料、素材として最重要な
資源だったので過剰利用になりがちだったのは
平尾のはげ山が如実に語る。
当時の木って今の石油みたいだ。
ところで油山周囲の山林はどのような様子だったか。
図「江戸時代の山林面積」をみると
柏原村、檜原村、小笠木村など油山山塊に連なる村の
山林面積は現市域のなかでも広い。
小笠木村については用途の割合が示されており
農民が利用した薪・下草の山林面積が半分を
超えている等興味深い。
展示の最後に参考資料が詳しく列記してあり
周囲の集落への峠道。

2011年8月14日まで福岡市博物館では
「江戸時代の山林」と題する展示が開催されていた。
江戸時代の福岡の山林を語る複数の絵図が展示。
17世紀中ごろ行われた山林調査図では今は
緑濃い住宅地である中央区平尾の丘陵の一角が
「竹山之図」ではげ山だったことが示されおおっ、
というかんじ。
江戸時代の福岡藩の山林は誰が所有し誰がどのように
利用していたかというのが最も興味のあるところ
だったが、基本的に御山と呼ばれ藩のものだったとのこと。
実際には野山という農民が下草、薪を利用した山
森林育成のため個人が占有した証拠山など管理は
当然さまざまな立場がしていた。
しかしとにもかくにも木は燃料、素材として最重要な
資源だったので過剰利用になりがちだったのは
平尾のはげ山が如実に語る。
当時の木って今の石油みたいだ。
ところで油山周囲の山林はどのような様子だったか。
図「江戸時代の山林面積」をみると
柏原村、檜原村、小笠木村など油山山塊に連なる村の
山林面積は現市域のなかでも広い。
小笠木村については用途の割合が示されており
農民が利用した薪・下草の山林面積が半分を
超えている等興味深い。
展示の最後に参考資料が詳しく列記してあり
その中に福岡県史がある。
この県史って冊数が多くていったいどこを見たら
何が出てくるかわからず敬遠していたが
それをきっちり示してくれていた。
この企画の詳細は
「福岡市博物館常設展示室(部門別)解説390 江戸時代の山林」
Fecata(博物館だより)83号
「竹山之図」はどちらにも掲載されています。是非ご一覧を。
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【しばりん】
この県史って冊数が多くていったいどこを見たら
何が出てくるかわからず敬遠していたが
それをきっちり示してくれていた。
この企画の詳細は
「福岡市博物館常設展示室(部門別)解説390 江戸時代の山林」
Fecata(博物館だより)83号
「竹山之図」はどちらにも掲載されています。是非ご一覧を。
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