先週、笠原に行った時、お昼を食べながら
小森さんが、ここ1年くらい出会ったことがらのうち
いくつか、今回の水害に際し参考になったことがあった
、と話していた。
もちろん、笠原の方々の地域の力が最大なのですが。
以下時系列はだいたいこんなかんじくらい、です。
1年半くらい前から
東日本大震災後の復興支援をしている
トチギ環境未来基地の塚本竜也さんを通じ
被災地のボランティア活動のあり方について
知ることが多かった。
1年くらい前
行政の方?との会話
「何かあったときのため、えがおの森のグラウンドに
ヘリコプターが降りられるか一度確かめないと
いかんねえ」
「そうですねえ」
結果的に確かめたのは水害後、ヘリコプターが飛んできて
人が先にロープで降りて、となったけれど
そういうことがありうる、というのは関係者の頭にあった。
3カ月くらい前
消防団で、どのうの作り方、がけ崩れが裏山で発生した時
緊急的にビニールシートで覆う方法をおさらいした。
緊急的にビニールシートで覆う方法をおさらいした。
1週間前
台湾からえがおの森を訪れていた学生さんたちと
笠原への災害ボランティアは昨日の
日曜日、とうとう百人超えとのこと。
森を育てる会のお父さんたちも平日に、先週おひとりが、
今週は声を掛け合って参加予定とのこと。
昭和38年に氾濫した樋井川流域に住む人もいる。
先週、えがおの森の前の風力発電を見て
「これ、悪いけど、結局あまり活躍できんだったみたいね、
なんでかね。」と話していた福岡市民のお父さん。
みなさん「情けは人のためならず」という気持ちで参加するのでは
たぶん全くないけれど、けっこう短期に自分にもどってくる
こともあるんだな、と感じた。