先日、ある自然公園保全ボランティアの
活動地の保全目標について
数人で話をしていたとき、ケヤキのことが
話題になりました。
その場所は渓流の上斜面の縁で
胸高直径が50cmはあるケヤキが
4、5本並んで立っていた記憶があります。
ケヤキは枝を広げるので、下に他の里山らしい
木が育たない、ということで数年前そのうちの
一本が切られました。
木が育たない、ということで数年前そのうちの
一本が切られました。
当時、きっと切ることになるんだろうと、
それを判断する話し合いに行くのを避けた
思い出があります。
ケヤキは有用木だから、持ち出して何かに
一部でも利用する、ということに展開できそうにない、と
自分の話力に自信がなかったのでした。
先日は、残っているケヤキも切りたい、という話が出たのですが
結局そのあたりは好き嫌いの話になるよね、と
結局そのあたりは好き嫌いの話になるよね、と
終わりました。
木本は初期の10年の生長で、その後の生長も
左右される、という話も出ました。
里山らしさとは何か、ということも話題になりました。
それで、ケヤキのことについて、はじめてくらい
それで、ケヤキのことについて、はじめてくらい
真剣に考えてみたく、いろいろホームページをひもとくと
・渓流沿いに分布する、
・タマムシが樹皮裏に越冬する
・枯れたり倒木になるとたくさんの甲虫がやってくる
と書かれていました。
じゃ、あのケヤキは(場所がかなり公園的に整備されているけど)
植栽ではない可能性が0ではない、場所はケヤキにとってよい環境
植栽ではない可能性が0ではない、場所はケヤキにとってよい環境
だったのかも、伐採木が、まだ残っているので観察資源としても
有効かも、とうにゃうにゃ考えたりしました。
有効かも、とうにゃうにゃ考えたりしました。
ここ10余年の中で保全グループに参加する人の
顔ぶれも、さまざまな理由から大きく変わっています。
・保全の中で経済性を考えないままのボランティアとしての
持続可能性と、相反するような森林の成立するまでの長い時間。
・目指す森林像や、その活用について。
・活動は誰にむけての、どのようなメッセージか。
など、多角的な対話の場が、今回のように、ちょっとゆっくりあるといいのかも、
と思ったりしました。
久しぶりにそのケヤキを見たくなりました。
【しばりん】